第21回 正木美術館展

正木美術館の名品紹介

大阪の泉北郡忠岡町にある正木美術館は、中世水墨画や墨蹟を中心に茶道具、仏教美術作品、考古資料などを幅広く所蔵しています。本展は東京汐留パークホテル東京25階のアトリウムで21回目となる展覧です。今回は当館コレクションの中から、寺社にまつわる作品をご紹介いたします。崇拝の対象である仏像やかつて寺院で用いられた仏具などの仏教美術作品と、神や信仰の地にちなんだ銘がつけられた茶道具を集めました。作品に込められた長きにわたる人々の信仰と創造性をお楽しみいただければ幸いです。

【会場】 パークホテル東京 25F アトリウム
【期間】 2020年3月13日(金)~6月11日(木)
【料金】 無料
正木美術館ホームページ http://masaki-art-museum.jp

【作品解説】

1「金銅仏(こんどうぶつ)」 中国・北魏時代
5世紀頃に北魏によって華北が統一されると、仏教の庇護が強く推し進められた。仏像の制作は従来のガンダーラ様式をもとにした古式仏から、インドのグプタ様式をもとにする新たな様式が展開していく。本作は5世紀後半頃につくられた作例で、貼りつけたような目鼻口、本来の火焔文とは異なる形で刻み込まれた光背など、独特の意匠が目立つ。細面の頭部や極端に引き締まった腹部も特徴的である。
やや赤みをおびた地金で光背と坐像が一鋳されている。台座が小さいことから、本来は別鋳の台座を伴っていたものと考えられる。

2「金銅金錍(こんどうこんぺい)」 鎌倉時代
金錍は、元は古代インドにおいて患者の眼膜を除去する際に用いられた眼病治療のための道具である。密教では法具として取り入れられ、衆生の無智の膜を取り去り心眼を開かせるとして、灌頂(かんじょう)の儀式(受戒するときや、修行者が一定の地位を継承するときに行う)などに使用された。
本作は鬼目(きもく)と呼ばれる中央の珠状の突起と、左右の柄を三重の蓮弁で装飾されている。蓮弁の先端の細かな蕊(しべ)の表現は実に精緻に刻まれている。両側の鈷(こ)と呼ばれる部分は断面が八角形につくられており、先端にはやや大振りの宝珠が付されている。

3「青銅香水器(せいどうこうずいき)」 奈良時代
密教寺院で用いられる法具の香水器は、塗香器(ずこうき)と合わせて二器と呼ばれる。身心の穢(けがれ)や道場、供物、仏具を清める水を入れるために用いられる。一般的な香水器は蓋を伴なった茶碗型の形状であるのに対し、本作は蓋を欠いた宝珠型であまり類例を見ない。
側面には「新薬師寺」「天平十二歳次庚辰三月」の刻銘がり、新薬師寺にまつわる仏具で、天平12年(740)3月に制作されたものと考えられる。新薬師寺の正確な創建年は未詳だが、『東大寺要録(とうだいじようろく)』によると、東大寺の末寺である新薬師寺は天平19年(747)に光明皇后が聖武天皇の病の平癒(へいゆ)を祈願して創建されたものとされる。

4「茶碗 飛火野(とびひの)」
5「茶碗 福ノ神(ふくのかみ)」 与州窯(よしゅうがま) 藤田登太郎(ふじたとたろう)作 現代
桃山時代に美濃(現在の岐阜県南部)で焼かれその後制作が途絶えていた志野焼を、現代に再生する活動を続けている茶陶作家藤田登太郎による作品である。志野焼は長石を原料とする釉を用いて焼かれ、白い器肌とそこにあらわれる小さな穴、鉄絵のような絵付け、表面の色調の変化などが見どころとされる。
作品4につけられた銘の飛火野は、奈良県奈良市にある春日山のふもとに広がる春日野の別称。古くは春日山を仰ぐ古代祭祀の地で、現在は春日大社の境内の一部である。『続日本紀』の和銅5年(712)正月23日の記録によると、710年に都が奈良の平城京に遷都された際、烽(とぶひ)と呼ばれるのろし台がこの辺りに置かれたという。この烽が飛火野の地名の由来として伝わっている。飛火野の稜線と立ち上ったのろしを思わせる絵付けが印象的である。
作品5は、全体に褐色の釉薬が薄くかかり、胴まわりから見込みに至るまで力強い斑紋のような絵付けがなされている。
銘には福ノ神とつけられており、日本で信仰されている福をもたらす様々な神が想起される。中でも、狂言「福の神」の「福は内、福は内」と豆をまきながら登場する福の神は、よく知られた例の一つである。「笑う門には福来たる」という言葉で知られるとおり、芝居の中では大きく高らかな笑い声と共に現れる神として描写される。

“日本の美意識が体感できる時空間”

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