パークホテル東京が2012年に始めた「アーティスト・イン・ホテル」は、客室をキャンバスに見立て、アーティストが滞在しながら作品を描き上げるプロジェクトです。完成した部屋は「アーティストルーム」として宿泊でき、お客様はアートに包まれた特別な時間を楽しめます。その中で、13番目に完成した部屋「桜」を手がけたのが大竹 寛子 さん。今回は、大竹氏に制作当時のエピソードやテーマ、部屋に込めた想いを伺いました。
Q. 普段はキャンバスのような平面作品を中心に制作されていますが、ホテルの客室全体をひとつの作品として描くのは大きな挑戦だったのではないでしょうか。空間を意識しながら「部屋そのものを描く」ことについて、工夫された点やご苦労があったら教えてください。
A.日本画には、桃山時代から江戸初期にかけて発展した「障壁画」という文化があります。襖や屏風といった建具に描かれ、空間全体で表現するもので、二条城などが代表例です。これまで障壁画のような大規模な空間に描く機会はありませんでしたので、10年前にアーティストルームの制作を担当した際は、壁の角や天井まで思いきり使って描くことができ、伝統的な障壁画を現代的な感性で再解釈する、とても貴重な経験になりました。
一方で、技法面では課題も多くありました。私は普段、日本画の岩絵具を使って制作しているのですが、岩絵具は粒子が重いため、水平に置いた画面に絵具を寄せるようにして描き、完全に乾かしてから立てるという工程を踏みます。しかし、壁面では絵具が垂れてしまうため、今回はアクリルガッシュを使用しました。さらに金箔は、通常の「ドーサ液」が壁には適さないため、特殊なのりを使うなど、新しい試みの連続でした。
また、桜を描くにあたっては、長谷川等伯の息子・久蔵による「桜図」から大きな影響を受けています。そのまま桜を現代風に描くだけでは面白くないと感じ、花びらをすべて“蝶”に見立てました。ぱっと見は桜の花びらに見えますが、よく見ると蝶の形になっている――。部屋に泊まった方が、滞在の中でその仕掛けに気づき、楽しんでいただけるようにという想いを込めています。

Q. なるほど。大竹さんの作品には蝶が多く登場しますよね。「儚さの中の美しさや真実」の象徴として蝶をモチーフにしていると伺いましたが、そもそもなぜ蝶を選ばれたのでしょうか?
A. 蝶にはさまざまな意味を込めていますが、特に大きな着想源となっているのが、荘子の「胡蝶の夢」です。荘子が夢の中で蝶になり、目覚めたあとも“夢の中の自分”と“現実の自分”のどちらが本当の自分なのかわからなくなる――そんな幻想的な物語です。夢でも現実でも「自分は自分」。世界はひとつではなく、ふたつの基準が同時に存在するようなもの――こうした考え方が、私自身の制作コンセプトに強く結びついています。
このアーティストルームでも、「夢と現実」、「異なる時間軸が並存する世界」といった“二重性”をテーマにしています。美術館では天井を見上げることはあまりないと思いますが、ホテルではベッドに横になると自然と天井を見ますよね。そのとき、天井に描いた蝶がまるで夢の中で羽ばたいているように感じられませんか?部屋の下部には“現実の世界”を、天井には“夢の世界”を描き、二つの世界が同時に存在するイメージを表現しました。宿泊された方が天井を見上げた瞬間、蝶が夢の世界へ誘うような没入感を味わっていただけたら嬉しいです。
Q. 夢と現実を行き来する象徴として「蝶」を選ばれたとのことですが、作品には桜の散りゆく“儚さ”と、部屋全体に描かれた春夏秋冬の“季節の巡り”という、二つの異なる時間軸も表現されています。こうした時間の扱いについては、意識して描かれたのでしょうか?
A.はい。まさにそのように感じ取っていただけて嬉しいです。「桜の刹那的な美しさ」と「永遠に続く季節の循環」。相反する二つの時間が同じ空間で共存していることこそ、この部屋の世界観であり、コンセプトの中心にあるテーマです。
儚いものの美しさと、変わらずに続くものの強さ――。その対比をひとつの部屋の中でどう表現できるかを大切にして制作しました。

Q. 本物の金箔も使用されたとのことですが、その理由を教えていただけますか?
A.金箔には、空間に光を取り込み、部屋全体を明るくしてくれる効果があります。夜になると外の夜景が金箔に反射して、より幻想的な雰囲気が生まれるのも魅力のひとつです。
桃山時代にも、暗い室内に光を取り込むために金箔が用いられてきましたが、そうした伝統を現代の空間で継承するという意味合いも含めています。さらに、金は物質としてほとんど変化しない“永遠性”の象徴でもあります。桜の持つ儚さとの対比をつくるという意図もあり、この部屋のテーマとも深く結びつく素材として金箔を選びました。

Q. 作品には「もののあはれ」や「諸行無常」といった、日本特有の美意識が色濃く感じられます。制作にあたり、特に影響を受けた日本文化や人物、思想があれば教えてください。
A.先ほども少し触れましたが、長谷川等伯の屏風作品には大きな影響を受けています。加えて、円山応挙の「氷図」という屏風もとても印象的な作品です。氷を線だけで描き出していて、写実的でありながら抽象的でもある。わずかな線だけで、あの“冷たい空気感”が伝わってくるんです。
その表現は、戦後アメリカで流行したミニマリズムにも通じるものがありますが、そうした“現代的”とされる様式を江戸時代の段階で表現していたという点に、強く心を揺さぶられました。私が日本画を始める大きなきっかけにもなった作品です。「氷図」は、最小限の筆致で世界を立ち上げているところが本当にかっこいいと思います。
Q. パークホテル東京に1か月滞在しながら制作されたと伺いました。“ホテルに泊まりながら描く”というプロセスならではの発見やエピソードはありましたか?
A.毎日制作だけに集中できる環境は、本当にありがたかったですね。滞在した部屋からは東京タワーや富士山が見え、夕暮れの空が刻一刻と変化していく様子がとても美しくて。時間の移ろいはこの作品の大きなテーマでもあったので、その変化を目の前で感じながら描けたのは貴重な体験でした。制作が完了したときには、近くで制作していた方々と小さなパーティーを開いたりと、思い出深い時間を過ごしました。

Q. パークホテル東京の宿泊者の95%以上が海外からのお客様ですが、海外のゲストにはどのようなホテル体験をしてほしいとお考えですか?
A.まずは、桜が持つ華やかさや、日本ならではの情緒を素直に味わっていただきたいですね。そして、部屋で過ごすうちに“桜だと思っていた花びらが、実は蝶だった”と気づく。その小さな発見も、現代アートならではの楽しみ方のひとつです。そんな体験を通して、日本文化の奥行きと遊び心を感じていただけたら嬉しいです。
Q. アーティストルーム「桜」を制作されてから、もう10年近くが経ちました。当時と今では、作品の見え方や感じ方に変化はありますか?
A.当時はすべて一人で制作していたので、体力的には本当に大変で……今振り返ると「よく描き切ったな」と懐かしく思います。天井を描くために、毎日ゴーグルと作業服で挑んでいたことを思い出すと、その頃の熱量や勢いが蘇ってきますね。やっぱり時間が経つと、まず思い出すのはそうした苦労や奮闘の記憶なんだなと感じます。

Q. 最後に、アーティストルーム「桜」にご宿泊される皆さまへメッセージをお願いします。
A.この部屋は、桜を起点に時間や季節の移ろいを描いた空間です。蝶は“変容”と“再生”の象徴でもあり、そこに込めた想いが部屋全体に広がっています。
ここで過ごすひとときが、皆さま自身の内側にある記憶や感覚と響き合い、心静かに、豊かな時間を味わっていただけたら嬉しく思います。
スタッフからのコメント:10年前に完成した「桜」の部屋は今でも大変人気の高いアーティストルームのひとつです。一見して華やかで、桜のある日本らしい風景は海外からのお客様の目を楽しませ続けています。今回お話を伺ったなかで、「夢と現実」「桜の儚さと永続性のある季節の巡り」「昼と夜」など、相反する要素が随所にちりばめられ、大竹さんの主たるモチーフである蝶がその間を自由に羽ばたき、私たちを彼女の世界観に誘ってくれている、そんな印象を受けました。そして桜の花びらが実は蝶だった!という新たな気づきもあり、現代アートの遊び心が潜んでいることも大きな魅力です。
長谷川等伯の屏風絵や円山応挙の「氷図」から大きな影響を受けたことがきっかけで日本画を始めたという大竹さん。伝統的な日本画の技法と現代的な感性がミックスされたアーティストルーム「桜」は、まさに“日本の美意識が体感できる時空間”です。ぜひ素敵なひとときをお過ごしください。
ー桜の世界をもっと見る
